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みかん

歴史

みかんの歴史はずいぶんと古く、約3,000万年前にインド・タイ・ミャンマーのあたりが原産地といわれています。
しかし当時は自生で、栽培となると中国が最初とのこと。
「かんきつ」の概念も中国発祥といわれており、かんきつの栽培史「橘誌」によれば、かんきつを「柑」「橘」「橙」に分類しその詳細を記してあるのだそうです。
日本にも自生の「橘」はあったようなのですが、栽培には至らず、食用ともされていなかったそう。
「魏志倭人伝」にも登場するくらいですから、日本においてもその歴史はかなり古いといえますね。

そして、第十一代垂仁天皇の勅命により「不老不死の霊菓」を求めて中国へ渡り「橘」を日本に持ち帰ったのが、田道間守(たじまもり)。
長い年月を経てようやく橘を手に入れて帰国するも、天皇はすでに崩御…という悲しい歴史が「古事記」「日本書紀」に記されています。
(日本でずっと自生されていたものと、持ち帰ったものとでは、品種が異なるのでしょうか…??)
田道間守をまつる和歌山県・橘本神社の近くには、田道間守が持ち帰った橘を移植した際の遺跡があるとのこと。
また当時、橘はそのまま食べるのではなくお菓子のように加工して食されたそうで、橘本神社では定期的に「菓子祭」が催されているようです。

そのように歴史が古く、日本にもなじみのあった橘ですが、栽培は室町時代からさかんになります。
江戸時代でも人気のくだものでしたが、ある年、天候不良によって江戸にみかんが輸送されず、江戸によるみかん価格の高騰が生じます。
その年は紀州ではみかんが豊作。そこに目を付けた紀伊国屋文左衛門が、嵐の中を命がけでみかんを江戸に運びました。
みかんは江戸で瞬く間に売れ、文左衛門は財を成します。江戸におけるみかんの人気ぶりを如実に表すエピソードですね。

みかんは実に多様な種類ありますが、日本の「温州みかん」は突然変異により400年ほど前に登場しました。
鹿児島県・長島東町に、その原木が見つかったそうです。
しかし、「種無し」ということで縁起が悪いものと長年敬遠されてきたそうで、栽培の歴史は浅く明治以降なのだとか。味の良さと食べやすさから、それまでの紀州みかん(小みかん)にとってかわるようになりました。
鉄道の普及に伴い輸送も発達。産地以外のさまざまな地でみかんを楽しめるように。さらに昭和に入るとハウス栽培も始まり、安定した高品質のみかんがたっぷり味わえるようになった、というわけです。

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